たおピーの人生メモ

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大河ドラマ「篤姫」

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大河ドラマ篤姫」を見ました。おもしろくてハマってしまいました。 また、感動もしました。 テレビは害あるものが多いですが、番組を選べば良き教訓になる場合もあると思います。 シルバーバーチもこの世には、100%悪なものはないし、100%善なものもないというようなことを言っています。 この番組は私にとって善の方が大きかったと思います。 以下、この番組で得た教訓、感想などを綴ってみたいと思います。

 

霊的視点が得られた?

このドラマは篤姫の生涯を50話(=約40時間)にギュと凝縮しています。 通して見ると、人の一生について大きく長い視点でとらえることができます。 今、自分の目の前に起きていることがなんだか些細なことに思えてきます。 これこそが、霊的視点ではないかと考えたりします。

私が考える霊的視点とは、近視眼的無分別の対極だと思います。 近視眼=目先のことだけにとらわれ、将来の見通しがつけられないこと。 無分別=思慮がなく軽率なこと。 の対極ですから、物事の善悪などをよく考え、長く先まで見通した視点ということになります。

 

霊魂説が前提とされている

第7話 菊本(篤姫を子供のころから面倒をみてきた女中)の言葉
いきなり言葉だけを紹介しても意味が分からないと思うので、ちょっとだけ背景を説明します。 篤姫の生まれた薩摩藩の階級社会は、トップに島津本家。 その下に、『ご一門四家』の重富・加治木・垂水・今和泉島津家があり、篤姫は、今和泉島津家の生まれです。 さらにその下に、数千石以上の領地を持つ『一所持ち』と呼ばれる人たちが続きます。 このように篤姫はもともと分家の娘でしたが、その娘が島津本家の養女となります。

養女の話が決まったとき、子供のころから面倒をみてきた女中の菊本が自害します。 理由は自分のような身分の低いものが姫様の面倒をみてきたことが姫様の汚点になると考えてのことです。 そして、菊本の死を悲しんでいる篤姫のとろこに菊本の霊がきて、こう言います。 「姫様、これから先姫様の行く先は、菊本がお守りいたします。 重い体を脱ぎ捨て、魂のみとなった今は、いずこへなりと飛んでまいりますゆえ」

このドラマでは死んでも魂は残るという霊魂説を前提としているようです。 それが、別に不自然じゃなく自然に受け入れられます。 みなさんは、死んだらどうなると思いますか? 私は、確かなことは分からないけど、なんとなくカンで魂は残るんじゃないかなーと思っていました。 今では、シルバーバーチに出会うことによって間違いなく魂が残ると信じています。

死んだらどうなるか、死後の世界について詳しく知りたい方は 500に及ぶあの世からの現地報告 をお読みください。

 

人は生まれ変わる

第26話 殿(徳川家定)と篤姫の会話
殿「もしも生まれ変われるとしたらそちは何になりたい?」
姫「生まれ変われるなら・・・」(しばし考える)
殿「ワシはのう人間でないものならなんでもよいわ」
姫「人でないもの?」
殿「そうじゃ、鳥じゃ鳥にしよう。 好きなときに好きなところへ飛んで行ける鳥じゃ」
姫「わたくしはわたくしのままでいとうございます」
殿「そちらしいの」
・・・ここでいろいろあって会話が終わり、眠った殿を見つめながら・・・
姫「わたくしはわたくしのままでよいのです。 でなければあなた様ともお会いできませんでした」
感動的なシーンでした。 死んでも魂は残り、そして人は生まれ変わる。 みなさんは生まれ変われるとしたら何になりたいですか? 殿のように人でないもの?姫のようにもう一度自分自身に? だだ、ここで注意していただきたいことは一般的に思われている生まれ変わりと シルバーバーチの言う生まれ変わりは異なる点です。 殿のように人でないものには生まれ変われないようです。 (最終的には殿も姫と同じ理由で「わしもわしのままがよい」と言っています)

では、どう異なるのでしょうか? かつての自分がそのまま次の自分として生まれ変わるのではないということです。 今、自分と思っている自分とは別の「本当の自分」があります。 この「本当の自分」というものは、自分が意識している自分よりはるかに大きく 自分だと意識しているのは「本当の自分」の一部にすぎません。

例えて言うなら氷山の海上の部分が自分だと意識している部分で、海中にある氷山も含めた全体が「本当の自分」です。 生まれ変わるときは「本当の自分」の別の一面が次の自分となります。 ですから、この世の人から見れば、かつての自分と次の自分はまったく別人のように見えます。 なにわともあれ、殿と姫が次に生まれ変わっても出会って欲しいものですね。

シルバーバーチの言う生まれ変わりについて詳しく知りたい方は シルバーバーチの霊訓をお読みいただくか、 心の道場さん発行のニューズレター をお読みください。

 

迷ったら天の導きに従いなされ

第7話 お幸(篤姫の生母)の言葉
「昔から、“一方聞いて沙汰するな”という言葉があります。 どんな人の声にもまんべんなく耳を傾け、その人その人の身になってよくよく考えるのです。 それでも思い迷うなら・・・考えるのをやめなされ。 考えるのではなく、感じるのです。 ・・・自分を信じて、感じるがままに任せるのです」

第22話 阿部老中の言葉
「拙者はこれまでなるべく多くの者たちの声に耳を傾けるようにしてまいりました。 ただ、いかに多くの者が自分のことのみを考えてるか、ここにきてようやく分かってまいりました」

お幸の言葉はもっともなんですが、阿部老中の言葉もよく分かります。 みんなそれぞれの立場があるのは分かりますが、自分勝手なことばかり言います。 人の意見を聞けば聞くほど、どうしたらいいものか迷ってしまいます。

そんなときは、考えるのではなく、感じるがままに任せる。 この感じるがままというのは、「瞑想し守護霊の導きにまかせよ」という意味だと解釈しました。 ドラマの中でも目を閉じて瞑想しているようなシーンが出てきます。 そして、その後でフッと思いついたように進むべき道を選択している場面があります。

いきなり「守護霊」という言葉が出てきたので、ちょっと引いた方もいるのではないかと思います。 そういうかたは、「守護霊」を「天の声」と読み替えてもらたらいいと思います。 シルバーバーチは、守護霊のいない者は一人もいない。どんな人にも必ず一人の守護霊がいて 生まれたときから死ぬまでずっと付き添うと言っています。

霊感の鋭い人なら天の声(=守護霊の声)も聞くことができるかもしれませんが、 私みたいな鈍感な人は何も聞こえません。 でも導いてくださっていると信じ、必要・必然・ベストなことが今おきている 今、目の前でおきていることに懸命に取り組むことを続けていいれば おのずとよき道に導いてくれると思っております。

守護霊について詳しく知りたい方は 続スピリチュアリズム入門(第2章 守護霊・背後霊) をお読みください。

 

幸せとは

第50話 天障院(篤姫)の言葉
「人の幸せとは、地位や名誉まして財産などではなく 気の置けぬ友や家族ともに過ごす おだやかな日々のなかにこそあるのだと思うておる」

地位も名誉も財産も手に入れた天障院だけに説得力があります。 まさにその通りで、天障院様の言葉は生きる勇気を与えてくれます(笑)。 今の世の中、損得勘定だけで物事を判断し、お金を稼ぐことを第一としている 資本主義経済の幸せ観がいかにチャチなものかということにあらためて気づかされました。 物質的な物を追い求めてもキリがないし、いくら物で満たしても心はなにか満たされない虚しさが残ります。

でも人はないものねだりをするもです。持ってない物を欲しがります。 また、メディアによって物質欲をかき立てられます。 この世で生きていると物欲を抑制することは大変なことです。 そんなときは、欲しい物があったら手に入れてみたらどうでしょうか? まだ他に欲しい物があったら、また手に入れてみる。 まだまだ他に欲しい物があったら、またまた手に入れてみる。

・・・どうですか? 心は満たされましたか? 単に物欲を抑え込もうとしても難しくいつか爆発するかもしれません。 実際に虚しさを味わってみて初めて上記の言葉が心にしみてくる。そんなものかもしれません。 でも、一度心にしみわたると、もう物なんてそんなに欲しくなくなるのではないかと思います。 頭で理解したことを心で理解する。心で理解してはじめて「分かった!」ということになるのではないかと思っております。

私は、幸せを追い求めるとき、1つ肝に命じていることがあります。 それは、自分だけの幸せを追い求めないこと。 誰か、あるいは何かを傷つけてないだろうか? そんな気遣いを忘れないことを。

ここで、篤姫の父である島津斉彬の言葉が思い出されます。 「刃を突き出せば、必ず別の刃が突き出される」(第4話 島津斉彬の言葉) 自分だけが幸せになることはできない。 自分の前に回りの人々が幸せでないと自分も幸せになれない。 なぜなら、回りの人々の中に自分が含まれているから。そう思うのです。

 

一人一人に天命がある

第50話 天障院(篤姫)と勝海舟の言葉
勝「この世とはむなしいことつまらぬことなど1つとしてないのだと」
姫「それはそうじゃ。だれもが天命、果たすべきなにかを持ってこの世に生まれてくるのだからな」
勝「はたすべきなにか・・・」
姫「そうじゃ、天命じゃ」

そして、この後しばらくして天障院は49歳で亡くなります。 ありがとう、篤姫。 ありがとう、このドラマを作成した関係者たち。 すばらしい、ドラマでした。 役者の演技もみごとでした。

そして、私はふとこう思いました。 地球に住む65億人みんなで壮大なドラマを演じている。監督はもちろん神様。 一人一人がこの壮大なドラマの出演者であり、それぞれに役がある。 山田太郎さんには、山田太郎という役がり、私にも私の役がある。

そして、それぞれが与えられた役を演じることにより、オーケーストのようにすばらしい旋律を奏でて 壮大なドラマが完成するのではないかと。 ところが、与えられた役を演じてないのでNG続出。なので不調和が生じて今のような世の中になっているのではないかと。 さてここで、「自分の天命とは何か?」が、問題となります。 結論を言えば、一人一人が自分で考えてこうだと決めた道を歩めばよいのだと思います。

 

シルバーバーチも以下のように言っています。

「自分で判断して、これが正しいと思う生き方をすればよいのです。 世間がどう言おうと構うことはありません。まわりの人が何と言おうと気にすることはありません。 自分で正しいと思うこと。 この方が得だとか都合がよいとかではなく、心の奥でこうするのが本当だと確信した道を選んで、突き進むのです。 ・・・あくまでも良心の声に従いなさいと申し上げるのです。 良心とは・・・当人にとっての善と悪とを選り分け、進むべき道を決断するための手段です。  問題はそのあとです。かくあるべきとの良心からの指示を得たら、 その方向にいかなる困難が予想されようと、臆することなく、迷うことなく、その指示に従わないといけません。 最後はきっとそれで良かったということになるのです。 ・・・あなたには、宿命的に、有利な条件と不利な条件とがあります。 しかし、同時に、あなたならではの才能をお持ちです。 それを他人のために役立てなさい。・・・」

 以上、大河ドラマ篤姫」の感想でした。